PiroWebの中の人

画像:PiroWebの中の人

中の人(管理人)のごあいさつやプロフィールです。ほとんどどうでもよい内容です(笑) お時間があるときに、ささっと斜め読みしていただければと思います。 ちなみに中の人は、第1種身体障害者、身体障害者等級表による級別1級(1種1級)、障害名は「頸髄損傷による体幹の機能障害」と「両上肢の機能障害」の車椅子ユーザーです。

中の人のからのごあいさつ

私は、1999年1月14日までは五体満足でした。次の日にはそれを失ってしまいましたが… _| ̄|○ ガクッ

スキーをしていて転倒し、頚髄を損傷してしまったのです。今でも転倒したときのことは鮮明に覚えています。衝撃の強さからか鼻血が出ていたこと、首から下がどこにあるのか分からなかったこと、救急車の中で呼吸ができずに死ぬかもしれんと思ったこと、CTやMRIの検査をしたこと、首の骨が折れてますと言われたこと…

振り返ると昨日のことのように感じ、何だか不思議な気持ちになるのと同時に涙が出てきます。年を取ると涙腺が弱くなるというのは、どうやら本当みたいです。(^_^;)

怪我をしてしまった理由は、スキーで転倒したからではなく、五体満足の自分を幸せに思えず、世の中に不平不満ばかり言っていた自分に罰が当たったのだなと思っております。人生から返ってくる球は、いつか自分が投げた球。天に向かって唾を吐けば、それは自分に返ってくるのです。

五体満足ってなんて幸せなんだということを、足が痛くて寝れないとき、痺れが強くて動けないとき、車椅子から落ちたとき、自己導尿するとき、動かない指を見つめたとき、床に落とした紙を拾えないとき、そんなときに思います。今更思っても…って感じですが、私は失わないと気が付きませんでした。なんだかもったいないことをしてしまいました…(^_^;)

注意一瞬怪我一生です。怪我には十分注意してください。世の中、危険なことがたくさん潜んでいます。不安なときや迷いがあるとき、精神的に落ち込んでいるときなど、そういったときに無茶は禁物です。

さてさて、それでも私は、失ったもの以上のものを得ようと必死で頑張って来たつもりですし、これからもそのスタイルを貫いて行ければと思っております。いつか人生を振り返ったときに胸を張れるように。そして、胸を張って死ねるように…

そんな私が管理しておりますサイトですが、今後ともPiroWebよろしくお願いいたします。(^_^)

プロフィールと怪我をしてからの流れ

簡単ですが、プロフィールと怪我をしてからの流れです。

プロフィール

ハンドルネーム
ピロさんとかピロウェブさんとかで呼ばれてます。
生年月日
19??年7月17日(気持ちは20代)
血液型
O型です
住まい
長野県在住
職業
サラリーマン
資格
初級システムアドミニストレータ(ITパスポート)
Excel表計算処理技能認定試験1級
Accessビジネスデータベース技能認定試験1級
デジカメエキスパート1級
普通自動車運転免許
身体障害者等級1級 ←これは違うか(笑)
趣味
・映画鑑賞 ・スポーツ観戦 ・ドライブ
・ネットサーフィン ・ラーメン屋巡り
好きな言葉
努力したということが必ずや生きてくる
心に染みた言葉
人生から返ってくる球は、いつかあなたが投げた球。
斧の刃が取れても、柄まで捨ててはいけない。
支えの言葉
光り輝く日、重い雲におおわれた日、体の芯までしみる冷雨の降る日、幸せが訪れても、悲しみに出会っても、どんな日々も自分の人生の確かな一部。心を開いてそれらを味わいなさい。
教訓
注意一瞬怪我一生!
その他
野球、サッカー、F1、テニス、ラグビー、格闘技などなど、基本的にスポーツは何でも好きです。
平和主義者です。争いがなくなればいいのに・・・

怪我をしてからの流れ

  • 1999年1月

    首の骨が折れる

    スキーで転倒し首の骨が折れ、障害者としてデビューを飾り、必死にリハビリを行う。

  • 2003年4月

    高校に入学

    二十歳を過ぎ車椅子になってから高校に行くという荒業。通信制でしたが3年間通う。その頃このホームページを立ち上げる。

  • 2005年10月

    ホームページコンテストで優秀賞を受賞

    このホームページがホームページコンテストで部門別優秀賞を受賞。

  • 2005年11月

    国家資格取得

    高校の勉強をしながら空いた時間に必死に勉強し、初級システムアドミニストレータ(現在は廃止、後身はITパスポート)の資格を取得。

  • 2006年3月

    高校を卒業

    車椅子ではいろいろと大変でしたが、無事に高校を卒業。

  • 2007年6月

    フリーランスで活動開始する

    Web制作をメインにフリーランスで活動を開始。
    やれることは何でも引き受けて必死に働く。

  • 2010年1月

    Web制作会社に就職、マークアップエンジニアとして働く

    取引先だったWeb制作会社で新しい技術を勉強しながら必死に働く。

  • 2013年4月

    企業に就職、サラリーマンとして働く

    現在は企業で必死に働いてます。
    Webに関わる業務を担当しています。

このサイトは?

このサイトは、とりあえずホームページを作ってみよう。というところから始まり、リニューアルをくり返しながら現在に至っております。指は動きませんが、親指の第一関節のみでキーボードを打つ中の人は、明るくかっこいいサイトを目指し、サイト制作に取り組んでいます(^_^)b

ホームページを作ってみようと思ってから十数年、参考書を片手に何回もリニューアルを繰り返しました。覚えたことを忘れないようにするためです。その度に新しいコンテンツを追加してきました。ただ公開していてもおもしろくないので、何かお役に立てるようにと。

アクセス数が増えてくると、サイトを見ていただいた方からメールをいただく回数が増えてきました。「こんなページを作って欲しい」、「とても参考になりました」、「こんなときはどうしていますか?」、「二度と歩けないということを、本人に伝えた方がいいですか?」などです。

頚髄損傷の方、頚髄損傷の方のご家族、看護師さん、OT(作業療法士)やPT(理学療法士)を目指す学生さん、アメリカで生活する頚髄損傷の方、頚髄損傷とは違う障害をお持ちの方、車椅子のクッションを製作している企業の担当者、職業訓練校で障害者の担当をする講師の方など、さまざまな人達からです。

内容が重いメールもたくさんありました。わらをも掴む思いでメールを送信したのかもしれないと、誠心誠意気持ちを込め返信メールを送っていました。と同時に、もっとしっかりとサイトを作っていれば、そういった方々のお役に立てるかもしれないとずっと考えておりました。それは、自分自身もベッドの上で、これからどうすればいいのだろうと、わらをも掴む思いを経験したからです。今でもそう思うときがありますが…

ほんのちょっとかもしれませんが、このサイトを見たときに、夢や希望や勇気を与えることが出来るように、参考にしていただける情報が少しでもあるように、そして、いろいろなご意見を取り入れたサイトを制作したつもりです。

私が怪我をした頃、インターネットは普及していませんでした。もし、普及していたら、いろんな情報収集をインターネットで行っていたんだろうなと思います。大切な頚髄を損傷してしまった方々と、そのご家族、支援者の方々にとって、このサイトが少しでもお役に立てば幸いです(^O^)ゞ